『津波、写真、それから』における翻訳の誤りについて

こんにちは、Lost & Found project代表の高橋宗正です。
『photographers' gallery press no.13』の誌面上にて指摘された『津波、写真、それから』に収録したジェフリー・バッチェン氏のエッセイの翻訳に関する誤りについて報告をしたいと思います。

このエッセイは2012年にNYのapertureでの展示のときに、写真展の企画や写真集の制作をしているアイヴァン・ヴァルタニアンさんの紹介で書いていただいたものです。

約4年前のやり取りを掘り起こして経緯をまとめ原因を探っていたため、報告が遅れてしまい申し訳ありません。

まず、専門家の視点で翻訳を読み誤りを指摘して下さった甲斐義明氏に感謝すると共に、英語能力の足りない自分が翻訳に関わってしまったため「forget」という単語を取りこぼし、表現に変更を加えたまま刊行してしまったことについて深く反省しています。
今回の原因は様々な人の協力のとりまとめを、英語能力のないぼくが素人の手探りでやってしまったということ、そして刊行に際してしっかりとした専門家のチェックを入れず、当時の暫定的な判断のまま印刷してしまうという確認能力不足でした。

今後慎重に翻訳を見直し、できるかぎり専門家の力を借りるよう努力し、次に本を刷る際にはより正確で読みやすさもあるものに差し替えたいと思います。

 

以下に報告として経緯をまとめます。

翻訳を手伝ってくれたのはNY在住のアーティストの畑さん、国連などで通訳の仕事をしている方、そして意見の分かれた部分でアドバイスをくれたのはアイヴァンさんです。

But the guilty pleasure we feel before such beauty is only possible when we look at these images en masse, when we can repress the individual pictures and see only the installation. In that situation, photographs become “photography,” with the inverted commas a rhetorical invitation to forget the specifics of events in Japan (forget why these photographs are here, forget the 19,000 deaths and the millions who are still struggling to recover) and consider other possible ways to regard this ensemble of pictures.

翻訳作業の中で、上記の部分について「when we can repress the individual pictures and see only the installation.」という行為はネガティブに捉えられているのかポジティブに捉えられているのかという部分の解釈について意見が分かれました。

「Guilty Pleasure」「repress the individual pictures」など、インスタレーションとして全体を眺める事に対して良いイメージの言葉があまり使われていないということや、日本のアカデミックな翻訳の文章において、「カッコに入れる」「修辞的・レトリック的である」という単語が出て来ると、大体その行為自体に対して否定的なニュアンスを持っている事が多い、という意見と、

英語の文章として、「invitation to forget」には「忘れるようにしむける」という否定の意味ではなく、一時的に忘れることで被害だけでない観点を提供する「忘却への招待」といった意味合いであって、距離をとって見れば抽象として美を感じることもできるという意味なのではないか。
という意見が出ました。

ここでネイティブであるアイヴァンさんと別の方 * にアドバイスを求めました。
* 当時のメールにこれが誰であるか書いていないため不明。これの前のメールでapertureの人などに聞いてみますね、と書いているのでそこの誰かだと思われます。

そこで、インスタレーションになることに対する否定的な意味というよりも、インスタレーションとして全体を眺めると個々の意味合いから離れて表面の美しさを感じることができる、ただしそれには罪悪感が伴いながら。
という意味だとアドバイスをもらい、

アイヴァンさんからは、
極端なポジティブでも極端なネガティブでもない複雑な気持ちであること、インスタレーションになって、「写真」全体のことを考えさせる。写真の個別の意味を忘れさせる。言い換えると、インスタレーションを見る体験は、個別の悲しい意味と全体の写真の美しさの2つの間を何度も往復する。
「No wonder, then, that these Japanese photographs induce such mixed emotions.」という文から、どちらか一方を否定するわけではなく、両方を同時に認めている。
という解釈を教えてもらいました。

 

このようなアドバイスをもらい、複雑な感情を含んだ文章であるということを知ったのですが、震災から約1年というタイミングの当時、内容として中立なものであったとしても、「忘れる」「忘れさせる」という言葉の印象が地元の人を傷つけるおそれがあったので、なんとか意味を変えずに日本語を柔らかくできないものかと考えました。忘れさせるという言葉は、別の観点への誘いという意味のための表現だということのようなので内容が大きく変わることはないだろうと判断したのですが、この考えが原文に対する忠実さを失う要因だったと反省しています。
また、2014年に『津波、写真、それから』を刊行する際に、翻訳をしっかり見直すべきでした。

ジェフリー・バッチェン氏、本を買って読んでいただいた方、そして翻訳に協力してくれたみなさんに、申し訳なく思っています。心からお詫び申し上げます。ジェフリーバッチェン氏本人には翻訳の誤りと経緯を報告し、謝罪をしたいと思います。
今回のことを反省し問題点を理解してしっかりと学び、今後このような事態が起こらぬよう気をつけていきたいと思います。

 

2015年 12月 20日
Lost & Found project代表 高橋宗正